世界で愛される「こだわりの家具工房」桜製作所

戦後の混乱期に、高い志で起業

1948年、まだまだ戦後の混乱が続いている状態の中で、建築家の永見眞一氏とデザイナーの高松顕氏(初代社長)が、欧米の先端デザインを取り入れた家具を作る会社として香川県高松市で立ち上げたのが桜製作所です。

 

2人は高松工芸高校の同級生で、在学当時に指導を受けた東京芸大出身の美術教師が教えるデザイン理論に影響を受けていたこともあって、家具と言えば婚礼タンスなどが主流だった時代に、一歩も二歩も先を行く家具製造会社を作ることを決意します。

 

大きな夢を抱いていた2人は当初、工業生産の手法を取り入れた近代工場でのマスプロダクションを目ざしていました。

しかし、そんな2人に転機が訪れます。

創業当時の永見氏と高松氏

初期の工房

アーティストとの出会い・工房への転換

1958年に香川を訪れた彫刻家の流政之氏は、当時の香川県知事からの依頼もあって地元のモノ作り企業を集めた実践的勉強会「讃岐民具連」を結成します。

家具の製造会社として新しい製品づくりを試みていた桜製作所もこれに参加して流氏との交流を深めます。流氏が1964年に開催されるニューヨーク万博の日本館の壁面製作のため渡米した際には「勉強のために米国の最新家具を買ってきていただけないか」という依頼をします。

 

快諾した流氏でしたが、依頼された家具を持って帰るのではなく、何と、アメリカの著名家具デザイナーを高松に連れてきたのです。

それが、当時既にアメリカで名声を博していた日系アメリカ人家具デザイナーのジョージ・ナカシマ氏でした。

 

ナカシマ氏の家具作りは、木の選定から職人の仕事に至るまで細かく目配りをしながら、実際に製作する職人と議論しながら一体となって家具を作り上げていくスタイルでした。

そんなスタイルに感銘を受けた永見氏と高松氏は、マスプロダクション志向を捨てて、小ロットで独創的な作品を生み出す家具工房へと劇的な転換を果たすのです。

ジョージ ナカシマ氏と流政之氏

ジョージ ナカシマ氏を囲む桜製作所の職人

日本有数の家具工房へ

桜製作所の真摯なモノ作りへの姿勢と技に惚れたナカシマ氏は、同社を唯一の家具作りのパートナーに選びました。以後ナカシマ氏が亡くなり、今日に至るまで半世紀以上に渡ってその関係が続くことになります。

 

桜製作所が60周年を記念して設立した高松市内のジョージ ナカシマ記念館は、日本国内で唯一ジョージ・ナカシマの作品を鑑賞できる場所として高い評価を受けています。

 

優れたアーティスト達によって鍛えられた桜製作所の特注家具製造技術は、年を経るごとに高い評価を受けることとなり、東京国立近代美術館の家具製作やイサム・ノグチ作品への参画、東京都現代美術館の家具製作など、高いクオリティを要求される仕事を次々と引き受けて、日本有数の家具工房へと成長を遂げます。

 

数多くの著名建築写真を手がけ、インテリアへの造詣も深かった日本を代表する写真家、故村井修氏も、かつて自邸の家具を桜製作所に依頼していました。

ジョージ ナカシマデザインのコノイドチェア

東京都現代美術館の家具

家具は作ったら終わりじゃない・・・

創業者永見眞一氏の子息で現社長の永見宏介氏は「家具を作って納めたら仕事が終わる訳ではない」と言います。

 

自然素材である木を使う家具は「置かれた環境などによってさまざまに変化しますから、納めて1年後、2年後の環境変化によって微調整をしてあげる必要が出てくることもあります。(宏介氏)」

 

「特注家具を作る時は、木を知り、現場を知り、使い手を知る・・・そうすることで我々から提案させて頂くこともできますし、本当に満足して頂ける家具をお届けできるのです(宏介氏)」

 

木を知り、現場を知り、使い手を知って家具を作るため、職人一人一人が極めて高い技術力と提案力を持つことを要求されるのが桜製作所。

 

代は変わっても、70年近くに渡って代々受け継がれてきた日本有数の家具工房としての矜持は、今や会社全体に地下水のように脈々と流れ続けているのです。

桜製作所

桜製作所 ホームページ

https://www.sakurashop.co.jp/

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